ドラマ制作日誌⑧未体験ゾーン
ドラマプロデューサー | 映像と記憶

ドラマ制作日誌⑧未体験ゾーン

AM5時、iPhoneのアラームのバイブが振動する。隣で寝ている2歳の娘と夫を起こさないようにすぐにバイブを切り、忍び足で寝室を出る。顔を洗い、さっとロケ着に着替えて娘と夫の朝食を作る。朝はパン派の娘にはサンドイッチや豆乳フレンチトースト、夫には自分が持っていくお弁当と兼ねた具沢山の味噌汁を多めに作り置いておく。撮影に備えて新調した酵素玄米が炊ける炊飯器からご飯を弁当箱に詰め、作り置きのおかずを適当に詰めてリュックに入れる。出発まで余った時間でできる限りの洗い物や掃除、洗濯、娘の夕食の準備、一品だけでも作り置きを増やす、などを忙しなく行い、6時半に家を出てロケ場所に向かう。

まだ朝日が昇りきっていない冬の朝のしんとした空気が好きだ。まだ世界に気付かれていない道を黙々と歩く。音楽はいらない。鳥の声や遠くで聞こえる電車の音、朝の音を聞きながら、今日やらなければならないことを頭の中で整理する。凍えるほど寒いしまだ眠たいけど、不思議と頭はスッキリしている。ああ始まったな、と思う。私の戦場。ようやく帰ってこられたいつもの場所。戻るのがずっと怖かったけど、ずっとここに戻ってきたかった。育児と撮影との両立という未体験ゾーンに突入したけれど、撮影前に抱えていた漠然とした不安は知らぬ間にどこかにいってしまった。

撮影が始まると、「段取り」と言われる最初のテストを見るのがプロデューサーの大事な仕事だ。監督の横で役者さんのお芝居を見て、登場人物の心情、セリフの解釈、シーンの意図などを確認していく。時にはまだ書かれていないこの先の脚本(全話脱稿していないので、ラストはまだ誰も知らない)について説明したりもする。段取りが終わったらあとはもう監督と現場のみんなに基本的にはお任せして、私は現場の隅でパソコンを開き、ひたすら作業をする。キャストやスタッフ、現場にいるいろいろな人が自分に話しかけにきやすいところにいるのが大事なことだと個人的には思う。自分がアシスタントの頃、監督やプロデューサーに確認にいくのが怖くて嫌で、ビクビクしながらそーっと近づいた日のことを今でもたまに思い出す。権力勾配は発生してしまうけど、できるだけあの時の自分のような人が出ないように…と願いながら現場にい続ける。

子供が生まれてしばらくしたとき、これからはもう現場にはいけなくなるんだろうな、と何となく思っていた。仕事のやり方を変えて、企画プロデューサーとしてどんどん企画を作って、どんどん人に渡して、ということをやっていかなければならないのかな、と。実際にそういう仕事の仕方をしているプロデューサーはたくさんいるし、それでうまくいっている人もたくさんいる。でも結局のところ自分はそうなれなかった。まだうまく言語化できないのだが、自分が現場に行くことを前提にしないと脚本打ち合わせが難しかった。脚本を作る過程で脚本家さんと交わしたたくさんの言葉や温度をちゃんと現場に伝えること。自分がドラマ作りで一番大事にしていることは、詰まるところそういうことなのかもしれない。

わたしの素

いつまで続くかわからないけれど、お弁当を作って撮影に持って行っている。そんなことをするのは20年の制作人生で初めてで、育児との両立で今回が一番忙しいはずなのに、そのための早起きも続けられている。自分のエゴでしかないのだが、娘のご飯だけはどうにか手作りをしたいと思っていて(市販のものでいくらでも美味しくて栄養満点のものあるのは理解しているので、エゴでしかないのですが…)、作り置きをたくさんしているから、それらを流用することができる、というのも継続のポイントなのかもしれない。大切な誰かのために作るご飯が、撮影現場の自分のほっと一息にもなる。どれだけ寒くても、疲れていても、お弁当を出すとなんだか心が緩む。以前より食や暮らしを大事にするようになって、そのことにこうやって救われることもあるんだなあと改めて気づかされる。

佐野亜裕美

著者プロフィール

ドラマプロデューサー
佐野亜裕美

CANSOKSHA代表社員。ドラマプロデューサー。
「ウロボロス」「おかしの家」「99.9-刑事専門弁護士-」「カルテット」「この世界の片隅に」「大豆田とわ子と三人の元夫」「17才の帝国」「エルピス」など。

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