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ガラス作家|山野アンダーソン陽子

オイシサノトビラ

ガラス作家|山野アンダーソン陽子

オイシサノトビラ

オイシサノトビラ

──── 現存する北欧最古のガラス工場での修行やスウェーデン国立美術工芸大学コンストファックでの学びを経て、陶芸作家・ガラスデザイナーのインゲヤード・ローマン氏に師事した山野アンダーソン陽子さん。現在はスウェーデンのストックホルムを拠点に「素材を活かした機能ある実用品」というコンセプトを大切にしながら、美しく、独創的なガラス作品や陶芸作品を生み出し続けている。山野さんはどのような思いで、制作に向き合い続けているのか。「食事」や「おいしさ」への思いとともに語ってくれた。

オイシサノトビラ
山野さんは宙吹き(1200℃近くに熱したガラスに吹き竿で息を吹き込み、型を使わずに成型する技法)で、美しく、独創的なガラス作品を生み出し続けていますが、どのような経緯でガラス工芸に関心を持つようになったのですか。

山野
最初のきっかけは小学校高学年の頃に母親に連れて行ってもらったスカンジナビアの展覧会です。そこでスウェーデンやフィンランドで作られたさまざまな形のガラス作品を目の当たりにし、子ども心に「どうやって作られているんだろう」と思ったんです。
私の母は編み物やレザークラフトを趣味にしていたり、よく益子の陶器市に出かけたり、旅先で私に陶芸体験をさせてくれたりしていたので、作られる過程を経験させてもらえていたんですが、ガラス工房には行ったことがなく、その製造プロセスがまったく想像できませんでした。それに、祖母も季節に合わせて、春は桜柄、秋は紅葉柄といった具合に器を入れ替えるなどこだわっていたんですが、陶器とは違ってガラスという素材は遠い存在だったんです。
そうこうしているうちに、私のなかでガラスへの興味がはどんどん膨らんでいき、その歴史や製法を図書館や神保町の古書店で調べたり、いろんな人に聞いてみたりしました。

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そこから、どうしてスウェーデンで学ぶということになったのでしょうか。

山野 
中学生になるくらいの時に、アーティストの親戚に「ガラスのことを勉強したいんだけど」と相談したら、「海外の大学で学んだほうがいい」というアドバイスをもらったんです。それからはより一層、ガラスのこと、ガラス制作を学べる工場や学校のことを調べ続けました。そうしてスウェーデン南部に1700年代からガラス工場が集積し、ガラス産業を盛り上げてきた地域があること、しかもその多くが「素材を活かした機能ある実用品/マスプロデュースされたクラフト」に特化していることを知り、スウェーデン語の書籍などを翻訳しながら必死に関連情報を集めはじめたんです。そして、スウェーデン有数のガラス製品メーカーであるコスタボダが職人育成学校を有していることを知り、思い切って応募してみることに。当時は年に6人の研修生しか受け入れていませんでしたが、運良く受かることができ、日本の大学を卒業した後にスウェーデンに渡ることにしたんです。
この現存する北欧最古のガラス工場で学べたことは、私にとってかけがえのない経験になりましたし、その後もスウェーデンでは国立美術工芸大学コンストファックで修士号を取得したり、陶芸作家・ガラスデザイナーのインゲヤード・ローマン氏に師事したりと、素晴らしい学びを得ることができました。

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「マスプロデュースされたクラフト」という概念について、もう少し深くうかがいたいと思います。

山野 
特に宙吹きだと、ガラスの特性的に同じデザインのものを作ろうとしても目に見えないゆがみなどが生じるんですが、そのゆがみが個性をつくります。その上、同じクリアガラスでも窯の状態によっても仕上がりが変わることもあるのですが、それもまたマテリアル特有の豊かさや美しさにつながる気がします。同じ畑で採れた野菜でも、収穫した日によって違うのと同じようなことかもしれません。

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その〝味〟を楽しむことが生活の豊かさにもつながっていきそうですね。

山野
そうですね。絶妙な差を感じながら、自分好みのもの、自分にフィットするものを選んだり、使い分けたりするのも楽しいですよね。
そうやって選んだものには自然と愛着が湧き、その周辺も含めを〝自分のこと〟として捉えられるという奥深さもあります。自分に合ったものを思考したり、選択できる事は豊かな事だと思うので、だからこそ作り手としては、その感覚を大切にしながら制作に向き合うようにしています。

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使う側に「こういう風に使ってほしい」と思うことはありますか。

山野 
私は、人の行為から作品へのインスピレーションを得ることが多く、人の行動や動きを洞察しながらある程度の用途を想定して作品制作に取り組んでいますが、最終的な用途は使う側次第だと思うんです。
実際、自分が思いもよらなかった使われ方をしたら、なんだかワクワクします。たとえば、ワインを飲み終わった後にそのボトルを花器がわりにして花を生けたり、ドリンキンググラスを重しにしてレシートが飛ばないようにしたり。こういう無意識の行動がものの本質的な使い方や愛され方につながるように思うので、よく着想のヒントにしていています。

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機能性を前提に、無意識の中にある本質を大切にするということでしょうか。

山野 
ちゃんとした機能は大事だと思っています。椅子にしても、座るだけならダンボールでもいいはずなんですが、座り心地を重視したら、背もたれや座面の大きさや高さ、角度などを緻密に調整しなければなりません。また、単に機能性のみを重視するのであれば、今の時代、科学と機械の力でかなり合理的なものを生み出せるはずです。
でも、一方であまり座り心地は良くなくても、見た目が好きだったり、それに座ることで気分が高揚したりといったこともあり、その感覚も大切にしたいという思いもがあります。ですから、ワイングラスにしても、ワインをきちんと飲むことができれば、グラスの角度がちょっと傾いていようと、背が高くても低くても問題はないと思うんです。いろんな体格の人がいるのと同じように、いろんな形のワイングラスがあっていいはずなんです。また、ガラス食器の工業製品の場合、気泡が入るとB品扱いされるのが一般的ですが、私はそれもまた個性と捉えるようにしています。個性を大切にありのままの豊かさや美しさを表現し続けたいです。

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山野さんは長年にわたってスウェーデンに拠点を置いてきたわけですが、スウェーデンのクラフトに関してはどのような印象を抱いていますか。

山野 
何を価値とするかによりますが、スウェーデン製よりも、ガラス製品の精度が高かったり、価格を抑えられたりする国もあります。マテリアルに関しても、今のスウェーデンでは、工業廃棄物が出てしまう可能性があるので鉛を使えないため(乾杯の時にグラス同士を合わせると音がなるような)「クリスタルグラス」を作れませんが、作ることができる国もあります。
こういった状況にあるにもかかわらず、スウェーデンでは今も国産のガラス製品が愛され続けています。その背景にどういう心情があるのかを私なりに考えると、作り手や健全な生産工程を守ることに理解があるからだと思います。スウェーデンでは、ガラス職人たちが安定した給与を得ながら有給休暇も長く、人権が守られた状態で生活を送っていて、消費者もそういう社会が維持されることを願い国産品を購入することで賛同している形になっているのだと思います。これは決してガラス職人に限らないと思います。

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山野さんは、日本のクラフトにどのような印象を持っていますか。

山野 
クオリティは高いのに安いという印象ですね。世界的に人気があるのは当然だと思います。ただ、その価格帯で十分に生産者の人権を守ることができているかは分かりません。グローバル化が進めば進むほど、生産者の人権を守るのは難しくなっていきますが、生産工程への理解を自分も含め一人でも多くの人たちが持つべきなのではないかと思います。
豊かな暮らしというのは、いろんな分野の人たちがお互いを尊重し、深く理解し合おうとすることで、育まれていくのではないでしょうか。
もっとも、こういった価値観に関することは言葉で伝えようとすると、どうしても表面的になってしまいがちなので、私としてはとにかく今の仕事に真剣に向き合い、表現し続けることが大切なのかな、と思います。

わたしの素

自宅の食事の際に、食器を選ぶことも食事の大事なプロセスの一つだと思っていて、息子にいつも食器を選んでもらうようにしています。自分が選んだ食器に料理が盛られているだけで、その食事が一気に〝自分のこと〟になるんです。実際、彼も「今日は良い気分だから牛乳を入れるグラスはこれにしよう」とか「今日はそんなに多く食べられそうにないから小さめの器にしよう」とか、その日の気分や状況に合わせて、食器を楽しく選んでいます。友だちをうちに連れてきた時なんかは、一人ひとりに合った食器を面白がりながら選んでいますね。

息子が食器を選ぶのは私にとっても素晴らしい刺激になっています。自分だったらこの料理にはこの食器かなと思っていたら、その予想を大きく裏切られることがあるんです。アイスをのせるのに小さめの平な器を選んでしまって、食べている最中にポタポタと溶けてしまい、慌てて食べなければならなくなるなんてこともありましたが、それは私にとって素敵な思い出になっています。日常的な食事、場合によってはインスタント食品であっても、自分が選んだ食器に盛り付けることで、それが最高の「おいしい」食事になるように思うんです。

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「おいしさって、なんだろう?」をテーマに、その人の生きる素となるような食事との出合いやきっかけをつくることを目指しています。

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