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家族の食卓

本と生き方

家族の食卓

木村綾子

「コトゴトブックス」店主

木村綾子

誰の部屋でもなくなった部屋で目が覚めた。
かつて自室だった6畳間に私の使い古したベッドや勉強机はもはやなく、家族の誰がどの時期に使っていたものなのか、持ち主さえ不明と化したこたつテーブルやカラーボックスを壁に寄せて作り上げたスペースに、来客用の布団が敷かれてあった。
「急だけど今日と明日そっちに帰ることにしたからよろしく〜」だなんて、気まぐれにも程がある娘からのLINEを受け取って、慌てて寝床を用意してくれたのだろう。前に帰ったときは一階のお座敷に寝かせてくれた。「今回は随分だねえ」と、自分の粗雑さは棚に上げて嫌味がましくぼやいてみると、お座敷のエアコンが壊れているのだと返ってきた。「修理しないの?困るでしょ」とせっつくと、お座敷に通すような人ももう滅多に来ないから、ということだった。
実家を出て27年になる。父も母も70をとうに超えている。田舎らしい大きな家に、用途を失い、誰の部屋でもなくなった部屋ばかりが増えていく。

起きてリビングに行くとすでに朝食は終わっていて父と母の姿もない。
ぬるくなったコーヒーを飲みながら冷蔵庫を覗くと、予感的中、一人分のサラダとたまごと果物が皿に取り分けられていて、その隣には昨夜の残りの冷しゃぶとスパゲティサラダが並んであった。
「夜までには帰るけどご飯はいらないからね」と伝えてあったのに、帰宅したらしっかり用意されていて、「じゃあ明日の朝にいただくよ」と言ったのに、朝は朝で皆と同じものがまた用意されている。実家に帰るといつもこうだ。冷蔵庫のなかに、食べきれずに繰り越された「綾子の分」が増えていく。結局朝はヨーグルトを食べた。

母が来て、「今日は早お昼になった」と妙に落ち着かない。兄家族がランチに誘ってくれたというのだが、次の予定もあって11時には店に着いていたいらしい。夜は7時から弟家族と中華に行くことになっている。父はペースを乱されあからさまに不機嫌で、母は、夕方小腹が空いちゃったらどうしようと早くも心配している。「昼か夜、どっちかをみんなで一緒にってわけにはいかないの?」と私が聞くと、兄も弟も、それぞれの子どもたちも予定があって難しいという。元を辿れば元凶は急に帰ってきた私。皆が私と過ごす時間を作ろうと考えてくれた結果であって、巻き込んだのは私の方だと申し訳なく思いつつ、呑気にも「朝、ヨーグルトだけにしといてよかった〜」と腹をさすって時計を眺めたりしていた。「綾子の分」の繰り越しは続く(なんなら夕方の母の小腹にあててもらって構わない)。

それにしても家族とは、なぜこうも食べることばかりを心配し合う共同体なのだろう。
実家に暮らしていた頃は、「食事」と「家族」が類語であるような日常がうっとうしくすら感じていて、そこに孤独がないことを、不自由だと反発することもままあった。誰の部屋でもなくなった部屋ばかりが増えていき、家族全員が揃って食事をする日常が非日常になってなお、いまも彼らは相変わらず、皆一様に食べることばかりを心配し合っている。ものを食べた記憶が家族らしさをかたちづくってゆくのなら、過去の反発も、大人になっても相変わらずな天邪鬼さも、家族のペースを掻き乱しておきながらマイペースを崩さない図太さも、なんというか、この家における私らしさそのものではないか。

「食べること」が家族の記憶と深く結びついていることを静かに思い出させてくれる一冊がある。武田百合子『ことばの食卓』だ。

牛乳を飲んで吐いた子ども時代、亡き夫と枇杷を食べた梅雨晴れの午後の食卓。戦時中のおにぎりのお弁当、まずかった脱脂粉乳。どのエッセイも、ささやかな食べものを通して、時の流れや人との関係、生きてきた日々をすくい上げる。食べることとはただの栄養摂取や習慣ではなく、誰かといた時間の手触りそのものであることに、読むたび気づく。

わたしの素

東京に戻ってきた翌日、ふんぱつして肉を買い込みローストビーフを作った。夏の間に予定を合わせて、家族揃ってのごはん会をする予定だと聞いたからだ。その日、私が一緒に食卓を囲むことは叶わない。それならせめて同じものを食べた夏の思い出にと、送る用にひとつ、自宅用にひとつ、せっせと作った。
「せめて同じものを」と言葉にしてみて、随分耳馴染みのある響きであることに気がついた。それは上京してからの私に、母が何度となくかけてくれた言葉だった。言葉は常に食べものと共に送り届けられた。母の気持ちが分かるまでにこんなにも時間がかかってしまった。この夏、45歳になる。

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本と生き方の扉

木村綾子

「コトゴトブックス」店主

木村綾子

世の中の事や人の事を想い、本と人をつないでいく木村綾子さんと、彼女らしさの素をつくる、本から影響を受けた食事。

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