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人生初ボトル

本と生き方

人生初ボトル

木村綾子

「コトゴトブックス」店主

木村綾子

コトゴトブックス主催で久しぶりにリアルイベントを開催した。
普段はオンラインで本を売ったりイベントを企画したりしているから、作者と読者が直接顔を合わせる現場に立ち会う機会はなかなかない。とはいえコロナ前の10年間、ほとんど毎日書店に立っていた身としては、時々やっぱりどうしても、「場」欲が掻き立てられることはあって、そういう思いが本を引き寄せるのか、今回2つの作品が、人へ、場所へと私を繋げてくれた。

作家、編集者・都築響一さんの『HAPPY VICTIMS by Kyoichi Tsuzuki』は、SNSが隆盛する直前、1999年から2006年までの間に撮影された100名余りのファッションコレクターを、膨大な洋服に埋め尽くされた部屋で撮影した写真集の新装復刻版だ。グッチ、エルメス、ドルチェ&ガッバーナ、マルタン・マルジェラ。コム デ ギャルソンに熱中する若いお坊さん、薄い壁越しに聞こえてくる隣人の会話に耳を澄ますアレキサンダー・マックイーンのコレクター……。彼らが語るブランドへの執着や偏愛から生まれる日々の儀式と人生の犠牲には既視感があって、そうだった、と自分の過去をも想起させた。1999年から2006年といえば、私がモデルとしてファッション業界に身を置いていた時期とそっくり重なっている。今のようにSNSを通して日常を発信する文化もなかったからこそ、「好き」はもっと秘め事めいていて、時折垣間見える燻ったフェティシズムが、その人をいっそう魅惑的に見せていたようにも思える。

〈「断捨離」とか「むやみな消費の戒め」とかがもてはやされる時代にあって、もし本書に登場してくれた着倒れ君たちが眩しく見えるとしたら、それは君がこころのどこかで「バランスの取れた暮らし」の凡庸さ、退屈さに気がつき、苛立っているからにちがいない。〉(〈新装復刻版〉では本文は英語表記)
都築さんのテキストに導かれるように、次に手に取ったのが、モデル・小谷実由さんの最新エッセイ集『集めずにはいられない』だった。

本作は、「集めること」をテーマに綴る偏愛蒐集エッセイ集だ。Tシャツやデニム、櫛、ぬいぐるみ、猫の髭、集めずとも集まってくるリップクリームやミンティアなど、異常なまでの量を蒐集する情熱と執着に自ら目を向け、「なんでこんなにも」という疑問もそのまま、思うまま暮らしを綴ることで、読者も自然と身の回りにあるものに目がいって、「ほんとだ、なんでだ?」と、かえって楽しくなるような、そんな連鎖を生んでくれるような一作だった。さらに、パートナーである島田大介氏が撮影したモノの写真や、モノにまみれる小谷さんの姿も多数収録されていて、両作品を並べて置いたとき、『集めずにはいられない』が、まるで『HAPPY VICTIMS』から飛び出してきたようだと感じたことを覚えている。
小谷さんは1991年生まれ。いわゆるデジタルネイティブに当たる世代だけれど、時代や流行に流されない嗜好や興味が彼女らしさをかたちづくっているところにかねてから信頼を置いていて、なおかつ「都築響一さんに影響を受けてきた」と公言しているとくれば、座組は盤石。ふたりにイベントの依頼をして、その日を待つに至った。

イベントをおこなう会場は、友人が下北沢で経営する居酒屋を借りた。
nicoちゃんの愛称で呼ばれている彼は、元々バンドでドラムをやっていて、持ち前の愛嬌と人当たりの良さと懐の広さに、あちこちから人が集まってくるような人だった。「仲間が気兼ねなく好き好きに集まれる場所をつくりたい」といって、下北沢の駅前に小さな居酒屋をつくったのが8年前。その店がnicoちゃんの描いた通りのすがたになるのに時間はかからず、いつ行っても誰かしらがいる安心の場所になった。しかし同時に、なかなか席の取れない店にもなってしまった。するとnicoちゃんは近所に2店舗をつくった。でもまたそこにも人が集まって、席が足りない。そうやって下北沢にnicoちゃんの店が3つ4つと増えていく傍らで、容赦なく駅前再開発は進んでいった。少し前、1店舗目のビルは取り壊された。茶沢通りから駅前に太い道を通してバスターミナルをつくるという。でも道なら既にあるのだ。バスに乗りたければ茶沢通りまでほんの数分歩けばいい。この街に暮らしている一体どれだけの人が、安心して集まれる場所よりも、ほんの少しの利便性を望んでいるというのか。

イベント当日、都築響一さんと小谷実由さんのトークでもそんな話題に触れていた。時代に揺さぶられることなく「好き」を守り抜くことや、執拗なまでに何かに執着するその思いの、なんとアナーキーで格好良いことか。
行政や大手デベロッパーに抗うように、下北沢で「個」の「場所」を守り続けるこの店は、名を「こうえん」という。

わたしの素

生まれて初めて居酒屋でボトルを入れた。
ふだん外食の習慣があまりないため、いざ店でごはんとなった際には余すことなく楽しんでやろう味わってやろうという食い意地と持ち前の卑しさが相まって、お酒も、一杯ごとに注文を変えるような幼稚な頼み方ばかりしていた。でも当然、ボトルへの憧れがなかったわけではない。まれに同伴者が着席するなり「ボトルまだありましたっけ?」みたいなことを店員に問う姿を横目に見れば、かっこいい!と内心ときめいたし、名を名乗らずとも棚のなかから探し当てられ卓に置かれる「マイボトル」は、その人と店との結びつきをそのまま物語っているようで、憧れこそすれ自分には到底辿り着けない境地だと、諦めてもいた。私にとってボトルは自ら入れるものではなかった。人から分けてもらうものだったのだ(しょぼいことを何偉そうに言っているのだ私は)。

でも、イベントのお礼を兼ねて「こうえん」を訪ねた或る夜、しぜんと「ボトル入れていいですか?」という言葉が口をついていた。自分で自分に驚きながら、そんなふうに思った気持ちの出どころを探っていると、まだ幼かった頃、父に連れられ居酒屋へ行ったときのことを思い出した。
幼い私がボトルを指して父に問う。父はたしかこんなふうに答えていた。
「それはな、この店がずっとあって欲しいと思うからだよ」

連載

本と生き方の扉

木村綾子

「コトゴトブックス」店主

木村綾子

世の中の事や人の事を想い、本と人をつないでいく木村綾子さんと、彼女らしさの素をつくる、本から影響を受けた食事。

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