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劇作家・演出家|前川知大

オイシサノトビラ

劇作家・演出家|前川知大

オイシサノトビラ

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────オカルトやホラー、SF的な世界観を多分に織り込みながら、人間の心理をさまざまな形で描く劇作家の前川知大さん。主宰する劇団「イキウメ」は旗揚げから20年を数え、近年では手がけた戯曲が韓国で上演されたり、フランス・パリでの公演を成功させたりなど、活動は海を越えて広がりつつある。物語を作ることを通じて、キャリアを着実に前に進める前川さんだが、コロナ禍が一つのターニングポイントになった。


「シンプルに言えば、分かりやすい物語をやめよう、と思ったんです。ただ劇場に座って眺めるだけで楽しめるような、一口ですぐに『 〟おいしい』〝物語ではなくて、観客自身にしっかり想像力を使ってもらい、能動的に関わってもらえる作品を作ることに、より意識的になりました」

背景にあるのは、ここ数年間の世の中の混乱。一人ひとりが自らの頭で考え、行動することの大切さを痛感したことがきっかけだった。

「ウイルスや感染対策についてさまざまな言説が流布して、僕らは振り回されましたよね。それって誰もが、受け取りやすい情報、つまり 〟分かりやすい物語〝に飛びついてしまったことに起因していると思うんです。物語を生業とする身としては、考えさせられた期間でした。そのなかで辿り着いたのが、作品を通じて考えてもらうこと。チケットを買って、劇場に足を運んで見てもらう、こと演劇という表現においては、身を委ねるだけでなく、自身の体験として観客個人に刻まれるものであってこそ物語の意味があるなと。それが求められているし、自分が作りたいものでもあると、改めて実感しました」

そうした心境の変化は、2021年の『外の道』や2023年の『人魂を届けに』に反映されるとともに、15年ぶりの再演となった、小泉八雲の怪談がオムニバス形式で語られる『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』の描き方にも表れた。

「2009年の初演時は、エンターテイメント性を重視して、視覚的に描きました。暗闇に照明が入ると幽霊がいるような、お化け屋敷的な演出です。でも初演が歌舞伎なら、再演は能。なるべく要素を引いて、役者の動きと音で感じてもらうことで、余白に観客の想像力が流れ込んでいくものになればと意識しましたね」

劇作家として、物語のあり方を問い直したのとほぼ時を同じくして、日々食べるものについても見直した前川さん。決断したのは、完全に野菜中心の食生活へ切り替えることだった。

「理由はいくつかあって、まずは体調面。身体の倦怠感が長く続いた時期があり、食べ物を変えてみようと思ったのが一つです。あと、日々の暮らしのなかで、こんなにも毎日お肉を食べる必要があるのかなとふと疑問に思ったんですよね。特に小学生の息子が喜ぶ料理を作っていると、自然と動物性のタンパク質や脂質が多くなる。毎日スーパーに並ぶお肉の安さに疑問を持ち、畜産の環境負荷の高さも知ったことから、行動を変えようかなと思い至りました」

ベジタリアンになってからは「肉を食べないといけなという価値観から自由になった感覚」だという前川さん。劇作家を志す前は、料理人を目指していたというほどの料理の腕を生かして、この日も、レンコンと長ネギの中華風炒めや、野菜と豆のチョップドサラダ、スパイスカレーまで、趣向を凝らした料理が並んだ。

「ベジになって、改めてスパイスや調味料を見直すようになりました。例えばレンコンと長ネギの炒め物は、八角と鷹の爪をたっぷり入れて醤油で味付けしたシンプルなものですが、組み合わせの妙で十分おいしくなる。一方で7、8種類のスパイスを使っていちから味を作るカレーも面白い。以前は気づいたら賞味期限が切れていた自宅のスパイス類を使い切れるようになり、料理人としての成長を感じています(笑)」

新たなおいしさを探求することを日々謳歌する前川さんだが、今まで通りの食生活を続けるご家族には戸惑いもあったのだそう。

「息子は『まあ、いいんじゃない』とあまり気にしない様子でしたが、妻はそうもいかず……。これから先、同じものを食べておいしさを共有できないことが苦しいし、決断を応援したいけれど気持ちが追いつかない、と。考えてみれば、たしかにその点は僕にとっても寂しいし、かといって、日々お互いに我慢をするような食生活はストレスになる。難しさを感じました」

一つだけ食材が違う、一品だけメニューが違う。そんなごく小さな差ではあっても、同じものを食べられない感覚は食卓に小さな波紋をもたらした。だが決断から半年経った今は、前川家なりの一つの落としどころを見つけたという。

「お祝いごとの時や、家族が一緒にいる休日には、時々魚を食べます。手巻き寿司を囲んだり、旬の魚を焼いたり、お刺身にしたり。肉に比べて魚はあまり体に負担を感じないので体調面の問題はないし、環境負荷の課題はあれど、時には家族との時間を優先したい。この日はやっぱり、いつもより楽しいし、おいしさを共有する特別感があります」

食べなくなったものもあるが、改めて気づくおいしさと喜びもある。食から巻き起こった波紋も、家族のいつかのおいしい記憶になるはずだ。

わたしの素

「我が家の冷蔵庫に常備しているのが、自作の「かえし」です。醤油と砂糖とみりんを合わせた調味料で、これに出汁を加えるとめんつゆに。僕は濃いめの醤油を使って5:1:1の配分で作っています。もともと蕎麦が大好きで、自宅でめんつゆを作ってみようと思ったのが最初。ネットで調べながら自分なりに作ったら、市販のめんつゆと全然違うことに驚きました。まさに蕎麦屋! 以来作り置きするようになりました。作り方は、醤油を火にかけて砂糖を溶かしながら、沸騰しない程度に煮て、最後にみりんを加えるだけ。2週間ほど寝かせると角が取れてまろやかになります。納豆にも冷や奴にも、炒め物に加えても一発で味が決まるので、料理をする上では手放せません」

 

profile

前川知大 / まえかわ ともひろ
劇作家・演出家 / 1974年、新潟県生まれ。
2003年に劇団「イキウメ」を旗揚げし、以降全ての作品で脚本・演出を務める。代表作に『太陽』『散歩する侵略者』『関数ドミノ』などがある。24年には、『人魂を届けに』で、第31回読売演劇大賞最優秀作品賞、優秀演出家賞を受賞した。

Credit:FRaU編集部
photo:Ayumi Yamamoto
text & edit:Emi Fukushima

連載

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「おいしさって、なんだろう?」をテーマに、その人の生きる素となるような食事との出合いやきっかけをつくることを目指しています。

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