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最後の晩餐

映像と記憶

最後の晩餐

佐野亜裕美

ドラマプロデューサー

佐野亜裕美

6月の半ば、実母が急逝した。くも膜下出血で、本当に突然のことだった。ちょうどその週末にこの連載の原稿を書こうと思っていたところに母が倒れたという連絡がきてしまったので、その後、看取りやら葬儀やらとなんだか現実感のないまま慌ただしく二週間ほどを過ごし、ようやく一息ついて、さあ制作日誌の続きを書こうと思ってパソコンを開いたが、どうしても書き出せなくなってしまった。まだまだ母の死をきちんと言語化できるほど心の整理ができていないけれども、それでも何か母のことを書き残さないと、日常のことを書けるようにはならない気がした。


きっとこれからしばらくは、いろんな角度から母との記憶をたどる旅をするような気がしている。だからここでは、母とのおいしい記憶について少しだけ旅をしてみようと思う。

母は専業主婦で、料理がとても上手だった。葬儀の時に母の思い出を紙にまとめる必要があって、父と弟に好きだった母の手料理を聞いたところ、書ききれないほどの料理名が上がった。鰤の照り焼き、筑前煮、焼きそば、モツ煮、コロッケ、カキフライ、さつまいもの天ぷら。中でも揚げ物がめっぽう上手で、自分がよく自宅で揚げ物をするようになってから、母の揚げ物の凄さを知った。自宅で作るクオリティではなかった。最後に食べた母の揚げ物は、昨年冬に作ってくれたカキフライ。なぜあんなにカラッと揚げることができるのか、秘訣を聞こう聞こうと思っていたのに聞く前にいなくなってしまった。最後とは知らぬ最後が過ぎてゆく、ってきっとこういうことなんだろう。

小さな諍いの積み重ねでしばらく会っていなかった父とICUで二人きりになった時に、父が小さな声で「今日具合悪いって言い出すちょっと前に、二人でお昼にラーメンを食べに行ったんだよ。その店の一番人気の鶏白湯が売り切れで、食べたかったって言いながら塩ラーメン食べたんだよね。ママは昔からラーメンが好きで、最後の晩餐はラーメンがいいって言ってたんだけど、本当にそうなっちゃった」と誰に言うでもなく呟いた。母がそんなにラーメンが好きだということは知らなかったが、子供の頃、父がいない平日の夜や土日の昼、よくラーメン屋に連れて行かれたことを思い出して、ああ、たぶん父がいない時ぐらい自分の好きなものを食べたかったんだなあと思い至って、なんだか笑ってしまった。そういえば母は、自宅で袋入りのラーメンを作る時に、必ず別で豚肉や野菜を炒めて、載せて食べさせてくれた。母は食べることも作ることも大好きな人だった。小学校高学年になるまではほぼ市販のお菓子がうちで出ることはなく、マドレーヌやら蒸しパンやら手作りのお菓子を食べさせてもらっていたこと、朝も夜も二日続けて同じものが食卓に上がることはなく、毎日何種類ものおかずを出してくれていたこと。自分が当たり前の毎日として享受していたことが、娘を産み母親になって、まったく当たり前ではないことにようやく気付く。

母が亡くなった日の深夜、事情があって母がこの半年一人で暮らしていたマンションの小さな部屋に行った。自分が亡くなることを1ミリも想像していなかった部屋には洗濯物が部屋干しされていて、ユニットバスの電気はつけっぱなしだった。ふと『大豆田とわ子と三人の元夫』の第6話の終わりで、とわ子が亡くなった親友かごめの部屋へ行き、冷蔵庫の残り物で炒め物を作って食べたことを思い出した。フードスタイリストである飯島奈美さんが提案してくれた、ソーセージと卵とピーマンの炒め物、とても美味しそうだったなと思い出しながら小さな冷蔵庫を開けたら、ラップに包まれた肉じゃがが残っていた。

私はとわ子のようなタフさは持ち合わせていないから、炒め物を作ることは諦めて、肉じゃがを電子レンジで温めた。冷蔵庫に一本だけ残っていた缶ビールを開けて、母の人生に献杯した。肉じゃがはとても甘くて、少しだけしか残っていなくて、これにラップをして冷蔵庫に入れていた母の人生を思った。次の日にちょっとだけ食べたかったんだろうな。私の最後の砦だった母。あなたのことをずっと褒め続けていく。私がもらった愛を、ちゃんと娘に渡し続けていく。そう決めてビールを飲み干した。

わたしの素

通夜の日の昼、母が最後に行ったラーメン屋に一人で行った。母が食べられなかったという鶏白湯ラーメンを食べるためだ。鶏白湯は出さない日もあるみたいだから今日もないかもよ、と皮肉屋の父に声をかけられたけど、無視して向かった。今日は絶対にある、と思った。お店には一番乗りで、ドキドキしながら「この限定の鶏白湯は今日ありますか?」と聞いたら、「ありますよ、鶏白湯一丁!」と元気に言われて、不意に涙がこぼれた。母と同様に味玉と海苔もトッピングして、ミニ餃子もつけて、ノンアルコールだけどビールも飲んだ。正直悲しみでまったく食欲はなかったけど、母の代わりにちゃんと完食した。今のところ、この一杯が私の人生一のラーメンだ。

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映像と記憶の扉

佐野亜裕美

ドラマプロデューサー

佐野亜裕美

社会を観測し自分の目線を大切にしている佐野さんと仕事の仲間の素となった、映像 とともにある食事。

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