トップページへ
冷たくてもおいしい小さなパンケーキ

「今日もていねいに。」

冷たくてもおいしい小さなパンケーキ

松浦弥太郎

エッセイスト

松浦弥太郎

久しぶりのニューヨーク。
懐かしさもあってアッパーウエストサイドのブロードウェイを歩いた。建物や木々の景色は変わらないけれど、歩道に面した店は様変わりしている。よく通った古書店や薬局、雑貨屋、カフェといった個人商店は新しい店に変わっていて面影もない。アムステルダム通りを歩くと、グリーンのテントが目印の「エドガーズ・カフェ」が見えた。昔この店は、ミステリー作家で知られたエドガー・アラン・ポーの住居跡にあったが、今はアムステルダム通りに移転している。


このカフェに来ると思い出すのが、シルバーダラーパンケーキと呼ばれる手のひらに収まるくらい小さく焼いたパンケーキだ。シルバーダラーというのは1ドルコインのことだ。2日に1度くらい、本や雑誌を持って通っていたとき、ある日コーヒーをおかわりすると、小皿に乗った3枚のパンケーキをくれたことがあった。「ありがとう」と言うと「冷たいけれどおいしいよ」と店の男性が微笑んで言った。

パンケーキといえば、何枚も重ねたそれにバターを塗ってシロップをたっぷりかけ、ナイフとフォークで食べるものだと思っていたぼくは、この素朴で小さなパンケーキをどうやって食べたらよいのか戸惑った。店の男性は、にこにこ笑いながら、指でつまんで食べるという仕草で教えてくれた。なるほど、日本のどらやきよりも小さいから指でつまんで食べればいいのかと思って一枚つまんで食べみた。

これがまたびっくりするくらいおいしかった。ふわふわという食感ではなく、ほどよい香ばしさがあり、かすかに感じる甘みがちょうどいい。そしてまた、冷めているからこそのおいしさに満ちたパンケーキだった。

「おいしいよね」と店の男性が声をかけてきたので、「うん、おいしい!」とうなずくと、「ぼくのおかあさんのレシピなんだ。小さい頃によくこれをおやつに焼いてくれたんだよ。普通は大きく焼くけれど、家の小さなフライパンで焼くからこのサイズで、不思議と冷めたほうがおいしいんだよね」と店の男性は話してくれた。どこの国にもおかあさんの味がある。その愛情に満ちたおいしさは、どんなに高級な料理でも敵わないと実感した。

いつしかぼくはこの小さなパンケーキが楽しみになって「エドガーズ・カフェ」にさらに通うになった。それがきっかけになって、フィルという名の彼とは仲良しになった。この小さなパンケーキは、どうやら店のまかないのひとつだったと後になってから教えてくれた。もちろん他のスタッフも大好物だと。

近所にお気に入りのカフェがあるというのはしあわせのひとつだ。そう、朝でも夜でも気楽に立ち寄れる場所があることや、店の前を通るときに手を振ってあいさつしたりするのは、ささやかな嬉しさであり、日々の暮らしに安心さえも与えてくれる。この店のおかげでぼくはニューヨークがもっと好きになった。

それからしばらくして、ある日、ぼくが日本に帰ることを彼に伝えると、手を大きく広げてぼくをハグしてくれた。「君が焼くパンケーキが食べれなくなるのが残念」とつぶやくと、彼は店のナプキンにさらさらとパンケーキのレシピを書いてぼくに渡してくれた。「これでいつでも自分で焼けるよ。大丈夫」と言った。彼いわくパンケーキのコツは焦がさないこと。「表裏1分ずつ。とにかく中火」と言った。フライパンが熱くなり過ぎたら、火から離して焼くのがいいと教えてくれた。

あれから何年も経つけれど、彼からもらったレシピは、わが家の定番になっている。もちろん、小さく焼いて冷まして食べている。

わたしの素

フィルが教えてくれたパンケーキのレシピを書いてみよう。薄力粉100グラムにベーキングパウダー小サジ1杯と砂糖大サジ1杯をボウルで混ぜてから、新鮮な卵1個を入れて混ぜ、生クリームと牛乳をそれぞれ100cc加えて混ぜる。最後にサラダ油大サジ1杯入れてよく混ぜて30分ほど生地を寝かせたら生地の出来上がり。中火のフライパンにサラダ油をひいて、大スプーン1杯の量の生地を焼く。直径7センチほどがいい。薄く小さく焼くのがコツ。焼き時間は両面1分ずつくらいが目安。ぼくはこのパンケーキが大好き。お試しあれ。今日はいちじくをトッピング。

連載

「今日もていねいに。」の扉

松浦弥太郎

エッセイスト

松浦弥太郎

少しちからをぬき、キホンを大切にする松浦弥太郎さんと、彼ならではの素をつくる、くらしと食事。

記事一覧