SERVISER/食器類3
「食器」には機能が必要ではあるのだけど、装飾としての一面もあり、機能と装飾のバランスが大切である。そんなことはわざわざここに書かなくても見聞があることだと思うのだけど、無意識によく使ってしまう食器には自分にしか分からない(もしくは自分でも分からない)使い勝手があり、使い勝手とは、機能とはまた別で、人によって求めることが違う。人によって違う「求めること」を突き詰めていくと、大切なのは「個」であり、一人一人の中に自分にしか分からない豊かさが潜んでいるのだと思う。
「透明であること」の解釈も興味深かった。私は光と影で「透明」が見え隠れすることがすごく好きで、細川さんの話を聞きながら、深い焦茶の真っ暗なテーブルの表面に白い光の線がボワンっとほんのり浮かんでいる様子を想像していた。月明かりに照らされた夜の湖面を波がなでるように光で揺れる、そんな情景だった。分かっていたつもりではいたけれど、自分にとっての悩みの種が、他の人にとっての魅力になることが、「透明のガラスのプレート」という長年に渡る自分の課題に照らし合わせて実感し、その思考がとても豊かで美しく思えた。世の中、そんなに捨てたもんじゃないぞ、と「透明のガラスプレート」を通して希望が膨らんだ。誰かが自分の存在に「大丈夫だよ」と言ってくれた気もした。もしかして、自分自身のコンプレックスを「透明のガラスのプレート」になぞらえていたのだろうか。
ちなみに、例え話が大きく飛躍するけれど、もし、私が透明のガラス食器類を俳優に見立てて時代劇を作るのなら、今までの私は迷いもなく「透明のガラスプレート」を分かりやすい悪代官役にでも配役していただろう。でも、今は立役者に配役したい。いや、分かりやすい立役者役はワイングラスにでも譲って、目立たなくてもクールにそつなくこなしていく必須の存在でもある影の立役者役がいい。その方がもっとしっくりくる気がしている。ところで、どこから「時代劇」が出てきたのかと思われるかもしれないが、光と影を考えると時代劇の陰影がふっと浮かんできてしまった。よく考えたら、時代劇の立役者に洋食器界のプリンスになれそうな「ワイングラス」と書いているあたり、私には「ガラス食器時代劇」は荷が重かったのかもしれない。
細川さんとお話をさせていただきながら、キッチンと呼んでいいのか、調理場と呼んでいいのか、料理をしている空間も想像していた。調理場と食事を取る場は同じ場所なのだろうか。「食器棚」や「背中越しにある棚」、「ガラスの扉の棚」はきっとアンティークなのかな。そして、それは、その空間にどんなふうに鎮座しているのだろうかと気になった。
続けて、料理教室で、大皿に盛られた料理を見て「わあ!」という感動が上がっているところを想像して、どんな空間なのだろう、と思った。例えば、細川さんが縁の分厚い土っ気の強い歪んだ陶器の大皿をアンティークの食器棚から取り出し、調理台に置く。調理台の高さは少し低めで75cmぐらいだろうか。その後ろに大きな窓があって、その窓から緑が見える。自然光を背中に浴びて少し逆光になりながら、細川さんが出来上がったばかりのお料理をガスコンロから移動させて調理台に並べたお皿に盛り付ける。ふんわりとゆっくりマジックショーのように湯気が出て、そこにいる人たちはスタンディングオベーションをするかの如くお料理を囲んで立っている。
実際の空間がどんなふうになっているのかは、全く知らないのでこれは純粋な空想のお話なのだけど、きっと料理をすることがとっても楽しくなる居心地の良い空間なのだろうな、と想像する。
ずっと前から料理をする場所に落ち着く感覚があるのだけれど、どうしてだろう。みんなもそう感じているのかしら。私は昔から朝食を食べた後にそのままキッチンのテーブルでニュースを読んだり、文章を書いたりする。北東に窓があるうちのキッチンは午前中の光が綺麗なのだけど、それも影響しているのかしらと光を考えてみたけど、それが原因ではないかもしれない。そういえば、スカンジナビアでは、どの家のホームパーティーでも、初めはリビングで歓談していた人々も結局最終的にキッチンに集まってグラス片手に立ち話をすることになる。やはり、料理をする空間には何らかの魅惑があるのかもしれないと思った。
SERVISER/食器類1
SERVISER/食器類2 前編
SERVISER/食器類2 後編
SERVISER/食器類3
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