カネシゲ農園
信濃路下條

カネシゲ農園

長野県下條村で、りんごをはじめとする果樹を育てる〈カネシゲ農園〉。家を出ると畑とも言えるような環境で育った古田さんに話を聞きました。


24歳。「明日からお前、社長だから」

家を出れば、そこは畑。下條村の農家に生まれた古田さんは、21歳で家業に入ったものの、父との衝突から一度は農園を離れた。父の病気を機に戻り、24歳で突然、社長になった。

オイシサノトビラ
農業の学校を卒業して21歳で親元就農したのち、半年ほどで家を出たんですね。

古田さん
反抗期の延長もあったと思います。当時は休みがなくて、月給制なのに残業手当もない。忙しい時期には、朝4時、5時から夜中の12時まで働くこともありました。自分が任されていない仕事でトラブルが起きても自分が責任をとることもありました。このままいたら父親のことも農業のことも嫌いになると思ったんです。
母親にだけ『明日の朝、出ていくから』と伝えて、父親が起きる前に車で家を出ました。
家を離れていたのは2、3か月くらい。父親が病気になり入院したんです。僕が出ていった手前、父は母に『連絡するな』と言っていたらしいのですが、入院から1か月ほどして母から電話が来ました。それでも、当時のぼくはすぐに帰る決心がつかなかったんです。自分の中で答えが出ないまま戻っても仕方がないと思って。さらに2か月ほど悩んでから、ようやく病院へ行きました。

オイシサノトビラ
病院で、お父さんとどんな話をしたのでしょう。

古田さん
窓際のベッドにいた父親が、外を眺めながら「おお、お前どうすんだ」と。それしか言わないんです。病室を出ると親戚がいて、その先で母親が泣いてました。それで覚悟を決めて、22歳でもう一度、農園へ戻りました。

オイシサノトビラ
農園へ戻って2年後の24歳で社長になったんですね。

古田さん
父親から突然、『明日からお前、社長だから』と言われたんです。もう登記まで終わっていて。「俺がまた辞めたらどうするんだ」と聞いたら、『うちは会社だから、お前がいなくなっても雇われ社長を探せばいい』って。可愛くないんですよ笑。
その頃、父親は年末の忙しい時期にまた入院して。渡されたのは、取引先の連絡先が全部入った携帯電話。それで、入っている番号に片っ端から電話をかけました。若いからといって、なめられるわけにはいかない。必死に対応しましたね。大変でしたけど、振り返ると、あの経験はよかったと思います

会社の名前に父の1字を入れる

休みのない働き方を改め、同世代の仲間を迎えながら、目指したのは「自分たちが楽しめる農業」を形にすること。

オイシサノトビラ
社長になって、まずどのようなことからはじめましたか。

古田さん
社長になったからといって、責任を背負ったという実感は、正直まったくなかったですね。考えていたのは、どうすれば自分たちが楽しくはたらける環境になるかということだけでした。若い人を入れたり、少なくとも週に1日は休めるようにしたり。父親と母親が日曜日にはたらいていても、僕は絶対に畑へ行かないと決めていました。
そうしているうちに、1年もたたないうちに両親は畑へ出なくなりました。僕に任せたというより、『意外にこれでも回るんだな』と気づいたんじゃないかと思います。

オイシサノトビラ
古田さんの考えを理解してくれる仲間も増えていったのでしょうか。

古田さん
結婚して地元へ戻ってきたけれど、やることがないという同級生に、『とりあえず、うちで働けば』と声をかけたんです。向こうも『そうするか』くらいの軽い感じだったのに、それから13、14年も働いてくれて、今は加工や醸造を手がける会社の社長をやってくれています。
カネシゲ農園という名前には、祖父の名前の1字が入っているんです。会社の名前に、その人の名前がずっと残っていくのはいいなと思って。だから父親が亡くなったとき、もう1つ会社をつくって、そこには父親の名前の1字を入れようと決めました。いまは弟にも協力してもらってます。

農業の悪いことばかりを、子どもに言わない

父から受け継いだものと、次の世代へ伝えたいことをうかがいました。古田さんが、今も超えたいと願うのは...。

オイシサノトビラ
子どもたちには、農園の手伝いを無理にさせることはないと聞きました。

古田さん
子どもが生まれてから気をつけているのは、農業の悪いところばかりを言わないことです。父親や祖父の世代は、『農業は3K。きつい、汚い、かっこ悪い』ってよく言っていました。でも、どんな仕事にもきついことはあるし、汚れることも、かっこ悪い部分もある。むしろ農家自身が、農業のことをいちばん悪く言ってきたんじゃないかと思うんです。
年に1回、小学校高学年の子どもたちに農業の話をする機会があるんですが、農業に悪い印象を持っているのは、兼業農家の子に多いんですよ。休みの日に田植えへ連れていかれて、『やらされている』と感じるからだと思います。
だから、うちの子どもには『農業はこんなに大変なんだ。覚悟はあるのか』なんて言いません。木が何本あって、どのくらい実が採れるのかを話して、『お前が継いだら、これが全部お前のものだぞ』って言う。そうすると、『すげえ』ってなるんです。それくらいの感覚でいいと思っています。農業は、すごくいいものだよって伝えたいんです。

オイシサノトビラ
息子さんには、農園を継いでほしいと伝えているんですか。

古田さん
継いでほしいという気持ちは、ずっと伝えています。ほかにやりたいことがあれば、もちろんそっちを優先していい。でも父ちゃんも長くはできないから、やりたいなら早めにやれよと。僕は父親から言われなかったので、もし言われていたら違ったのかなという思いがあるんです。思いだけは伝えて、最後は本人に任せます。

オイシサノトビラ
古田さんは友人とラーメン店を経営されているとうかがいました。食についてはいろいろなこだわりがあると思うんですが、さいごに古田さんが大事にしている「オイシサ」について、教えてもらいたいです。

古田さん
それで言うと、やっぱりりんごですね。もっと言えば、父親が作っていた頃のりんごです。ふじという、いつでも食べられる品種を普通に食べていただけなのに、めちゃくちゃうまかった。その記憶がずっと残っているんです。
弟や妹に聞いても、りんごも梨も桃も、父親が作っていた頃のほうがおいしかったと言うと思います。理由はわからないけれど、小学校から中学校くらいまでに食べた味って、なかなか超えられないんですよね。僕は、いつかその思い出の味を超えたいと思っています。

父親が亡くなった年の12月、りんごの発送の荷造りをする時期に、30年、40年と付き合いのあるお客さんから電話がかかってきました。『今年のりんご、今まででいちばんおいしかったよ』と言われたんです。父親がいなくなって味が変わったと思われるんじゃないかと心配していたので、母親と号泣しました。
ただ、その年のりんごが、僕の記憶の中にある父親のりんごを超えたかと聞かれると、それはまた別の話。小学校から中学校くらいまでに食べた果物の味が、今もいちばん強く記憶に残っていますね。

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